まず大前提として、文章を読むことができるようになるためには
それ相応の訓練と慣れが必要です。
このことを大前提として、一文読解を適切に行なえるようになるには次の3つの力が必要です。
①語彙力
②文法力
③耐久力
いくつか例を挙げてみます。
例えば、次の文を読んで意味を理解できるでしょうか。
e.g. Our father was a sailor.
この文を見て意味が理解できないということであれば、それは「単語力」に問題があります。
この例で言えば、sailor(船乗り)の意味を知らなければ、「父親がどういう人だったか」を理解することはまずできません。
読解の基本かつ不可欠な要素は「単語力」です。
単語を知らずして言語を習得することはできない、これは厳然として事実です。
e.g. では、次の文はどうでしょうか。
Our father was drowned in a sailing accident.
この文を見て意味が正しく理解できないのであれば、「文法力」に問題があります。
ここでは was drowned という「受動態」が用いられていますが、「溺れられた」という日本語は明らかに変ですよね。したがって、My bike
was stolen のような「~される」と訳す通常の受動態ではないことがわかります。
では、これはどういった受動態なのかというと、I
was surprised at the news(その知らせに驚いた)のような「自動詞として理解する」受動態です。
『自動詞って何?』と思われた方がいれば、
〈受動態として意識しなくてよい受動態〉と考えれば良いでしょう(少し矛盾していますが)。
したがって、上の例は「父は航海事故で溺れてしまった(溺死してしまった)」となります。
「文法」は覚えるだけでは意味がありません。そこに正しい理解があって初めて意味を成します。
「文法」は決して無味乾燥なものではなく、そこには
色とりどりの景色が広がっています。その ´景´ が見えるだけでも、読解はぐっと楽(しく)になります。
しかし、問題は次のような【一文が長くなった文章】です。
e.g. Our mother has always stressed the fact that our familiar relationships have a kind of permanence that we will never meet with again.
これには先の「単語力」と「文法力」に加え、もう一つ
「耐久力」が重要になってきます。
ここでいう「耐久力」とは、概略、
〈長い一文を読んで、混乱せずに耐えられる力〉のことを指します。
上記のような長い一文は中学1年生ではまず出てきません。中学3年生、ないしは高校生になって初めて出てくるレベルの長さです。
しかし、この長い一文を次の3つのパートに分けると、意味が取れる可能性がぐっと高まります。
(a)Our mother has always stressed the fact
(b)(that) our familiar relationships have a kind of permanence
(c)(that) we will never meet with again
それは、
一文当たりの単語数が少なくなるためです。
先の①や②の例が今回ほど難しく感じられないのも、一文当たりの単語数が少ないためです。
そこで、この分けたパートを順に直訳してみるとそれぞれ以下のようになります。
(a)母親はその事実をいつも強く主張している
(b)家族の絆はある種永久性を持っている(という事実)
(c)我々は二度と会うことがないであろう(という永久性)
ここでは「単語力」と「文法力」があるという前提で話を進めていますが、ここでの that はこの文において非常に重要な働きをしています。ここでの that はいわゆる関係代名詞というもので、「that の直前にある名詞が一体どういうことなのかを次の文で説明しますよー」といった
合図のような働きをしています。
(b)で言えば、that の直前にある fact(事実)とは一体どんな事実なのかを(b)の文が説明することになります。それを踏まえて、(a)と(b)をつなぎ合わせて意味を取ってみますと次のようになります。
(a, b)母親は、家族の絆はある種永久性を持っているという事実をいつも強く主張している
これをもう少しわかりやすい日本語にすると、
(a, b)家族の絆は(何があっても)無くなることのないものだと、母はかねがね言い続けている
となります。
話が長くなるので(c)の解釈は飛ばしますが、要領はこれとまったく同じです。
そして、この文が先の①と②の続きあるということを知っていれば、
「お父さんは海難事故で亡くなってしまったけれど、私たちの家族の絆は今後も永遠に続いていくものよ」
と母親がいつも子供たちに伝えている文であることがわかります。
以上のように、ある一文を単語や文法を意識しながら解釈することで正確に英語を読むことができるようになります。
最初のうちは時間がかかりますが、
正しい読み方を知り、それを繰り返し練習することでだんだんと高速化していきます。この
高速化した状態が無意識に英語が読めている(英語を左からぱーっと読むだけで意味が取れる)状態です。
これまでの英文読解で上記のような分析的な練習を学校の授業などでしてきた人も多いかもしれません。そういった人たちは英語を高速に読むための下地はおそらくできています。あとは
さらにそれを意識して数多くの英文を読む(触れる)、これに尽きると思います。
アニメやマンガ好きな人はそれの英語版を読めば(見れば)良いでしょうし、映画が好きな人は字幕を英語にすることはもちろん、台本も手に入れてそれを読むという手もあります。
今は工夫次第でいくらでも英語に触れることはできますから、維持できる方法を見つけていくのが良いと思います。
最後に、「うまく日本語に訳せない=英語が苦手」とは考えないようにしてほしいと思います。
英語を日本語に訳するという実は非常に難しいもので、英語力の問題だけではありません。
上手な日本語に訳せなくても、しっかり理解していれば(和訳問題やそれが出題される試験は除いて)「まずはOK」として学習を続けてほしいと思います。
英語は必ず左から読む
「一文読解」が苦手な人はしばしば '戻し読み' をする傾向(癖)があります。例えば、
e.g. I often would go fishing in the river with my father.
を my father(父)→ with(と一緒に)→ the river(川)→ in(に)→ go fishing(釣りに行く)→ often would(よく~したものだ)
のように '後ろから戻して訳す' と日本語として綺麗に訳せます(最後だけ少し調整が必要ですが)。
しかし、
戻し読みは非常に危険な読解方法です(少なくとも、私はそう考えています)。
確かに上記のようなメリットはありますが、デメリットのほうがはるかに大きく、ある種「諸刃の剣」と言えます。
デメリットは大きく4つあります。
①リスニング力に多大な悪影響を及ぼす
②一文が長くなればなるほど使い物にならなくなる
③英語の感覚が身につかない
④どこがわからないのかわからなくなる
中学校で扱うような短い文章であれば、戻し読みも悪くはないのですが、それに '味をしめて' 使い続けると思わぬ痛手を「大人になってから」受けることになります。
※わたしはは、戻し読みを教えてもらった際、当時の先生に「これを使っていいのは中学校までで、高校に行ったら使うなよ」と言われました。しかし、
その指示は無視して使い続けた結果、高校の英語は長い間さっぱりわかりませんでした。
①から④の全てに関して話をしたいところですが、相当の分量になってしまいますので、ここでは④に絞ってお話をします。
「一文読解」において一番困るのは
「どこがわからないのかすらわからない」という状態です。
この状態になってしまうと、どこをどう質問して良いかわからなく、単に先生のところへ行って「この文章がわからないのですが、教えてください」といった質問をすることになります。
質問相手が何がわからないのかがわからない状態では、答える側も非常に苦労します(ときに、全く関係のない解説をしてお互いの時間が無駄になったり、「どこがどうわからないの」と質問を質問を返されることになります)。
そこで、
自分が何がわからないのかをわかるためにも、
左から読んでおく必要があります。
例えば、先に使用したこの長い文章ですが、
e.g. Our mother has always stressed the fact that our familiar relationships have a kind of permanence that we will never meet with again.
後ろや真ん中から読むのではなく、左から順に読んでいきます。
Our mother ...
がわかるのであればもう少し先に進み、
Our mother has always stressed ...
まで進んでみる。
「母が何かをいつも主張しているらしいぞ」と理解できているのであれば、ここまでの読解には何ら問題がないことになります。そこでもう少し歩を進めてみて、
Our mother has always stressed the fact that our familiar relationsships ...
辺りで、「あれ?」と何かしらの抵抗を感じるようであれば、その
「あれ?」がこの「一文」に対して何らかの障害があることを意味しています。となると、ここまででは読みすぎたということになりますので、歩を戻し、改めて理解できていたところから、
Our mother has always stressed ...
Our mother has always stressed the fact ...
Our mother has always stressed the fact that our familiar
と徐々に伸ばしていきます。読解の際の心理描写は次のような感じでしょうか。
Our mother has always stressed ...
(ここまではわかっていたはずだ)
Our mother has always stressed the fact ...
(ここまでもまだわかるぞ)
Our mother has always stressed the fact that our fa ...
(あれ?何かわからなくなったぞ)
といった感じです。
このように、
わからないところがわかっていれば、先生に何を聞けば良いかは明白になります(この場合で言うと、that(の文法)とそれ以下の解釈がわかっていないということになります)。
ただし、この例ように、自分のわからない箇所がスムーズに見つかるという保証はありません。しかし、こういったことをしなければ、何がわからないのかをわかることはまずありませんし、その状態で質問しても求めている回答が返ってこないことが多く生じ、学修へのモチベーションが下がってしまうことでしょう。それは互いに健全ではありませんね。
また、このようなやり方は繰り返すことで精度が上がっていき、だんだんと正確な質問ができるようになってきます。しばしば、「賢い子は質問も賢い」と言われますが、それは自分が何がわからないのかをわかっていて、そのためにはどのような質問をすれば良いのかを心得ているからでしょう。賢いからそのような質問ができるのか、そのような質問ができるから賢くなったのか、そのどちらの可能性も(私のこれまでの指導経験上)十分にあると思います。
長い一文に耐えられるようになるためには、
「短い一文から語数を徐々に増やしていき、その理解できる '距離' を伸ばしていく」ことが地味ではありますが、かなり効果の高い方法だと思います。
日本語と英語の構造の違い
これ以下については、今後追記する予定です。
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